10年。20年。
あるいはそれ以上の歳月をかけて気づくことは確かにある。
そしてその意味は決して軽くはない。
そんな風に感じられる出来事がありましたので文章にしてみます。
勉強や塾に直接関係のない個人的な文章ですが、ご容赦ください。
普段、中高生と接する機会が多く、忘れる暇もないからでしょうか。
私は中学生、高校生の頃の記憶を失っていない、覚えていると思っていました。
「中学生には日ごろの努力が大事だと言いながら、自分自身は定期テストでは完全に直前集中型だったよなぁ。でもだからこそ直前はかなり苦労したし、できることは日ごろからやってほしいな」
「あの頃嫌いな先生も多かったけど今の中高生も大変なんだろうな」
「大人から見れば些細な悩みであっても、傷つきやすい年ごろだし本人からすれば大きいんだろうな」
・・・と毎日のように考えます。
振り返れば、大昔の私が中学生、高校生の頃。
私を形作っていたもの、その多難な時代を支えてくれたものの一つが漫画でした。
小学生に上がったころから漫画を読み始め、その後音楽や映画、文学にもハマっていきますがそれはもう少し後の話。
幼いころにゲームを買ってもらえなかった私にとって、物語の中で主人公とともに冒険できる漫画は最高の娯楽でした。
小学生高学年になる頃には、同級生の皆から「物知り」と言われ、学校の宿題以外勉強らしい勉強をしたこともなかった私が国語の読解問題において苦労しなかったのは、間違いなく漫画が良い方向に作用したからだと思います。
そして一番悩み深かった高校生時代に出会ったものはやはり強く印象に残っています。
高校時代は漫画も読みましたが、どちらかというと文学に傾いていた時期です。
孤独や、人生とは何か?というようなテーマのもの、はっきり言ってしまうと暗い文学を好んで読んでいました。
しかし当時、週刊少年ジャンプで連載していたとあるギャグ漫画は特別でした。
詳細は省く、というかどこがどう面白いのか説明するのも難しいのですがとにかく笑えたのです。
まさに悩みが吹き飛ぶというか、悩むことすらくだらなく思えました。
そんな貴重な経験、思い出を、実は最近まで私は忘れていました。
思い出させてくれたのはスマートフォンアプリです。
作者の方が新連載を始めるということで、集英社が過去作をwebで読めるように計らってくれたのです。
懐かしさからページをめくる手が止まらずに楽しみました。
笑えました。
17歳、18歳の頃と同じように。
記憶というものは不思議なもので、悲しみや苦しみは薄れていくのでしょうか。
そして喜びは色あせずに輝くのでしょうか。
鮮やかに思い出がよみがえりました。
作品を読んで大笑いしたこと、そしてその瞬間を共有した友人が確かにいたことを。
その作品が私にとって特別だったのは友人の村主(すぐり)君がいたからです。
高校二年で同じクラスになり、三年でクラスは別れたもののお昼ご飯は卒業まで一緒に食べていました。
教育実習生に
「じゃあむらぬし君!!」と呼ばれても訂正せず、
「だってすぐいなくなるし訂正しなくていいよ。俺はむらぬしだよ」と言うような彼が私は好きでした。
そして彼もおそらく、周囲とは打ち解けず、少し浮いていたような私を理解し、好意を持ってくれていました。
当時週刊少年ジャンプを毎週購入していた彼は、私が好きな作品だけを切り離してオリジナルの、私が好きそうな表紙をつくって一冊の豪華本に仕立てて私にくれたのです。
それを見ていたもう一人の友人は、
「お前小西君のこと大好きだな!!」
とツッコんでいました。
私は高校時代、早く卒業したい、群馬から出たいと思っていました。
そして高校時代なんて忘れてしまいたい、そんな風に思ったことさえありました。
しかしそれは誤りでした。
私は恵まれていました。
高校卒業後、京都に行った私は高校時代の友人とは自然と疎遠になってしまいました。
もったいないことをしたな、と思います。
そんな思いから自宅の机をあさりました。
そこには村主君からの二通の年賀状が残っていました。
漫画のキャラクターをコピーし、セリフだけ私が喜びそうなものに変え工夫された年賀状が。
「お前な。受験生がこんな年賀状時間かけて作るから浪人するんだよ」
と18歳の彼に言いたくなりました。
それと同時に、20年越しに私は彼の気持ちを理解し、泣きそうになりました。
友よ
俺さ。
あれだけ「学校は好きじゃない」とか言ってたのに、今「先生」って呼ばれて子どもに勉強教える仕事をしてるよ。
苦しい時もあるけど、俺ほどひねくれてる奴なんていないし、楽しいよ。
お前がくれた優しさみたいのを少しでも返せるように生きていきたいよ。
どこかでまた会えたらいいな。
個別指導塾 栄伸館塾長 小西啓太